自分を幸せにする秘訣2013/06/01

思いがけず、卒業生2名と、再会することができました。
卒業年度も園も違う二人から、「高山先生のノートは今でも持っています」と聞き、大感激。
これからも、卒業してからも体に残る授業をしたいと思いました。ありがとうございます。

さて今日は、引越しのときにいただいた本を、ご紹介します。
渡辺奈都子「はじめての選択理論 人間関係をしなやかにするたったひとつのルール」ディスカバー・トゥエンティワン 2012
しなやかさを出すために斜めに置いてみた


選択理論?
読む前は表紙や文章のやわらかさから、(うん?理論?)と思いましたが、確かに理論の本でした。
静岡市在住のカウンセラーである著者が、ウイリアム・グラッサーの選択理論を、誰にでも実践できるようにわかりやすく紹介しています。

一度知ってしまうと、もう元へは戻れないのが、優れた理論の特徴だと思います。
この本も、「なるほどね」と理解すると、もう二度とこの本を読む前の自分には戻れません。

「はじめに」は、こんな書き出しで始まります。

この本は、人間関係の解説書です。
「なんであいつは何度言っても分からないのだろう・・・(ムカッ!)」
「どうしてあの人はこんなことするんだろう・・・(イラッ!)」
「なんだかいつも私ばっかり我慢しているみたい・・・(ションボリ)」
このような、あなたが人間関係の中で時折感じる不快なモヤモヤの理由が理解できるようになります。

この本に一貫して流れているのは、変えられるのは自分だけ、相手は変えることができない、ということ。
「もっと楽になる自分の生かし方」や、「より良い人間関係を築くために」と、具体的な提案が続きます。

保育、とくに保育士という職種は、ときに人から要求され誤解され苦情を受ける立場になることもある仕事です。
多様な価値観をもつ保護者の願いや思いを理解し、必要なことはていねいに伝え、スルー力など自分をすり減らさない方法をもつことができれば、鬼に金棒(死語?)ですね。

保育者の研修に、ぴったりの講師を発見した気分です。
私も、この本を読んで、気持ちがぐんと楽になりました。
林先生、ありがとうございました。

うれしい気持ちをお花で表現してみました


ちなみに、この本の欲求チェックリストによると、私は自由の欲求がとび抜けて強く、楽しみの欲求が強く、愛・所属と生存の欲求は低く、力・価値の欲求がとび抜けて低い。やはり、3歳児的です。

子どもは人とのかかわりだけで育つという誤解2013/06/13

自宅に新しくパソコン用デスクを購入。問題は机に座ると足がむくんでしまうこと。朝は私の集中時間ですが、大学へ出かける頃には、ふっくらとした足の完成です。

子ども・子育て会議の第二回の会議内容をやっと見終わりました。
全国どこからでも、こうした会議の動画と資料を見ることができるとは、いい時代です。
内閣府 子ども・子育て会議のホームページ

第二回の会議では、私も問題を感じていた点を、柏女霊峰委員がご指摘下さり、とてもありがたく思いました。
柏女委員の資料から
「子どもの育成活動が子ども・子育て支援法のサービスから抜け落ちていることは大きな問題であり、児童厚生施設(児童館、児童遊園)の整備並びに、現在、制度のなかに組み入れられていないプレイパークなどの民間活動についても、すべての子どもの育ちを支援する観点から整備目標等を設定すべきである」

なぜ児童館や児童遊園、プレイパークなどの視点が落ちるのか、それは、昨年の会議から「子どもは、家庭学校地域の人との関わりで育つ」との前提で、話し合いが行われているためではないかと思いました。地域での「人との関わり以外」が、すっぽりと落ちているのです。

原賀隆一
原賀隆一「ふるさと子供グラフティ」
クリエイトノア,1991より。 地域が「子どもが育つ環境」として豊かであった頃、子どもたちは、地域で遊び、そこで得られる経験によって、さまざまな知識、技能、感性等、生きる力を獲得することができました。


第二回の基本指針案には、「子ども・子育てを巡る環境」として次のように示されます。

「核家族化の進展や地域のつながりの希薄化により、祖父母や近隣の住民等から、日々の子育てへの助言、支援や協力を得ることが困難な状況。また、現在の親世代は、自らの兄弟姉妹の数も減少しており、自身の子どもができるまで赤ちゃんと触れ合う経験の乏しいまま親になる保護者が増加しているなど、子育てを巡る家庭や地域の状況が変化」。子育て支援の研究者たちは、この記述に納得できるでしょうか。

「子どもの育ちを巡る環境」としては、「さらに、少子化により、子どもや兄弟姉妹の数が減少し、乳幼児期に異年齢の中で育つという機会も減少しているなど、子どもの育ちをめぐる環境も変容」とあります。子どもの育ちをめぐる環境の変化も人間関係が取り上げられています。「など」の二文字に、日本生活体験学習学会、日本子ども社会学会、日本子ども環境学会等で積み上げられてきた知見が、含まれているのかと思います。


昨年の会議資料には、「家庭と園・学校」を合わせて、「子どもの生活」と示した図がありました。


「子どもの生活」を図で示すとすれば、以下のように考えられます。(太枠が要領の範囲、家庭教育には乳児院、児童養護施設等を含む)


子どもたちは、家庭、地域、学校・施設で、教育を受けています。今、国では、家庭というインフォーマルな教育をとり上げ議論しているのですから、地域での遊びやその他の教育も同様に取り上げ認識した上での議論が必要です。

家庭では、主に、基本的な人との信頼関係と安心安全の欲求と、食事、睡眠の基本的欲求の充足が得られます。しつけと呼ばれる社会で生きていくためのルールも、主に家庭で得ます。

地域と園では、主に、身体運動を伴う遊びの経験と多様な人間関係が得られます。乳幼児期の遊びは、好奇心と運動という基本的欲求を充足するとともに、環境を認識し、環境に合わせた能力を獲得する学習です。保育所や幼稚園は、保育者による意図的・計画的な遊びであり、地域での遊びは完全に子どもが主体となる遊びです。

公的な図書館や公民館等でも子どもは経験による学習をしています。社会教育団体、スポーツ団体、宗教団体、子どもに関するさまざまな活動団体によっても、子どもの教育は行われています。地域社会で子どもが得ていることは、人との関わりだけではありません。また家庭と地域では、教育産業・スポーツ産業による教育も盛んです。

子どもを育てているのは、このような目に見える教育ばかりではありません。教育的な意図が含まれない「隠れたカリキュラム」によって、子どもたちはさまざまなことを学んでいます。子どもたちは、住宅の環境、道路、街並み、公園、映像メディア、玩具、本、雑誌など、自分を取り巻く環境に影響を受けます。子どもがどんなものを見て、どんな音を聞いて、日々どんなことを感じとっているのか、五感と身体を通した経験から、子どもの心は育まれていきます。とくに子どもの言葉と行動は、親や教師よりもテレビ番組から得るものが多いでしょう。

子どもが置かれた環境によって、子どもの経験(遊び)は制限を受け、保護者が置かれた環境によって、保護者の子育ての方法は影響を受けます。親が、理想的な関わりを持ったとしても、身体運動を伴った遊びができない子どもは、運動という基本的欲求を充足することができません。利益優先で作られた狭く、壁や床が薄い賃貸住宅では、家の中で子どもを遊ばせることすら制限しなくてはなりません。子どもが安全に遊ぶことができる公園も児童館もない地域が多くあります。公園があっても、子どもがそこへアクセスできる安全な道路が確保されているとは限りません。地域環境を貧しくして、ゲーム産業や教育産業でカバーする方向性では、家庭間の格差が拡大するため、すべての子どもを健やかに育てるという国の方針と矛盾します。

散歩に行くことができず自然物にふれることができない園、外で遊べない園、狭い部屋にたくさんの子どもを無理やり入れた園では、どんなに専門性が高い保育者がいても、子どもたちを健やかに育てること、子どもに学童期以降の抽象的な学習の基礎である五感と身体運動を伴う経験を積ませることは困難です。

子どもは、人との良いかかわりがあれば育つと前提におかれてしまうと、狭い保育室も、子どもが働きかけるものがほとんどない保育室も、大人数のクラス集団も、許容されてしまうことになりかねません。

「乳幼児期の子どもにとっては遊びが学習であり、その遊びは、家庭・地域・園(学校・施設)で経験する」、「子どもは、環境との相互作用を通して学ぶため、人、自然、物、情報等の質と量が重要である」。この二点が、乳幼児期の子どもの健やかな育ちを考える上で、はずせない基本理念であると思います。
乳幼児期には、発達段階に則した環境が重要であること、身体運動、感覚を伴う直接経験が重要であること、応答性の高い環境が重要であること、個による発達段階の差異が大きく個別性に配慮した保育が必要であることなど、保育の原則を前提にすることで、子どもの育ちを保障する保育環境はどのような環境か、どのような支援が必要か、が見えてくるでしょう。

今、西垣通の「集合知とは何か」を読んでいます。「子どもは人との関わりのみで育つ」という情報が流布しやすい状況では、保育学の専門知が役に立つ場合もあるのではないか、と思う次第です。

ああ、理屈っぽくってごめんなさい。父が幼い私に、「黙れ、しゃべるな、うるさい」と言い続けたわけです。

授業デザインの最前線2013/06/18

教育実習の訪問の帰りに、木立に囲まれた玉川上水の道を歩きました。
雨のなか、なんてきれいなんだろうと木々を見上げて立ち止まること数回。おかげでびしょ濡れ。




              雨音と、川の流れる音と、雨が葉を揺らす音、そこに私の靴音が混じります。



さて、今日は保育教育者向けの本の紹介です。久し振りに興奮する本に出会いました。

高垣マユミ編著 「授業デザインの最前線Ⅱ 理論と実践を創造する知のプロセス」 北大路書房 2010
本の内容だけではなく、表紙のセンスといい、細やかでていねいなデザインといい、編集がまたいい。大学の図書館では、カバーをはずして書架に並べてしまうことが残念です。
 

この本は、教育心理学の最新の知見を基盤とし、学校現場の実践知と理論知をつなぐ授業研究者によって書かれています。(執筆者紹介に、所属と学位が掲載されているところに気概を感じます)
「授業をデザインする視点」、「授業のやる気を高める視点」、「授業の理解をうながす視点」、「授業を創り上げる視点」、「授業をとらえる視点」、「授業を支える視点」の6つの視点から、授業という複雑な現象を、体系的にとらえることに挑戦しています。理論によって実践に構造的な視点をもたらし、全体像を示すことに成功しているのではないでしょうか。私は、こんな保育の本をつくりたいとあこがれました。

このシリーズは、初等教育、中等・高等教育の専門職大学院のテキストにぴったりですね。また、保育教育者(保育者養成に携わる教育者)が、授業実践者として、自分の授業の質を高めるために一人で読み込むのにも使えます。どの章も、マーカーで真っ赤になりました。

この本と合わせて、自己調整学習や、教育評価など、保育学会で北大路書房ブースから購入した本にはまっています。貧乏性なので、大人買いをしたことがないのですが、学会で、「ここからここまで全部下さい」と買ってくればよかったと後悔。生協で頼まなくては。


こちらは、すっかり夏景色になった黒目川です。雨の日も、土の道を歩きたくて長靴を購入。
うん十年ぶりに長靴を履いて、学校へ行きました。

大阪のちから2013/06/22

G3保育環境研究会で、門真市の柳町園(やなぎまちえん)を見学させていただきました。

園長の大西宏幸先生には、今年3月の保育教育学研究会で、公立から民間委託を受けた後の、保育環境の改善についてお話をいただきました。ビフォー・アフターの写真を見て、古い園舎が建て替えになる前に一度行きたいと思っていました。

雨の中、園に到着。建物の外壁は、確かに公立時代を感じさせますが、園庭からは施設っぽさ(傍点つけたい)が感じられません。

 
右側はテラス。園庭には平面の空間と、勾配のある空間が設けられています。



木が植えられていました。砂場は、砂の種類が異なる砂場が三カ所あるそうです。


0歳児の保育室。これまでにあったものを活かしながら空間を工夫して作り変えています。



これ、何だと思います?私は、何なのかちっとも想像がつきませんでした。



ここのコーナーから、子どもたちがお盆に乗せていろいろ運んでくるんです。



この黒いパネルは、お好み焼きの鉄板なのでした。う~ん、さすが大阪です。
「マヨネーズはおかけしますか?」、「あおのりとかつおはおこのみでおかけください」と子ども。食べ慣れてますね。



各クラスは、先生方の工夫にあふれていました。この園の先生方は、休日にショッピングに行っても、子どもたちのことを思って商品を見ているのではないかしら、と思いました。


壁の手作りボード。これは大好きですね。




お人形の寝ているベッドは・・・



100均の植木鉢なのでした。う~ん、これも大阪魂を感じる・・・



翌日の乳児保育研修会では、「目の前の子どもの姿に合わせて環境をつくる・選ぶ」という基本を演習を含めてお話しました。
たとえば、粗大な動きが多い時期には、粗大な運動ができる場づくり。
手を使いたがる時期には、手を使える素材と道具。
見立てやつもりが出てきたら、見立てやすく、模倣ができるごっこ遊びのシンボルや道具など。

「子どもの姿に合わせて環境をつくる・選ぶ」は、子どもが変わっても、園や時代が変わっても、使える原則的な理論です。こうした行為の判断基準となる原則的な理論を持たない場合には、あるメソッドを教条的に持ち込んだり、こんな環境が理想だと捉えることが起こりがちです。しかしそういう行動は、専門職らしくありません。専門知識に基づいて、目の前の子どもたちと地域、園の実情に合わせて柔軟に実践できることが、保育の専門性の証です。


先生方の専門性と工夫が感じられる園に行くと、とても幸せな気分になります。
やなぎまち園の先生方、ありがとうございました。