保育を変えてみようと思っている人に2015/12/06

千葉県富津市の和光保育園さんの実践が
ひとなる書房さんから本として出版されました。

「子どもに学んだ和光の保育 希望編 育ちあいの場づくり論」
鈴木まひろ・久保健太著、ひとなる書房、2015
「子どもに学んだ和光の保育 葛藤編 響き合ういのちの躍動」
鈴木秀弘・和光保育園職員・森眞理著、ひとなる書房、2015


鈴木真廣(まひろ)先生が書かれた希望編を先に読了しました。
私には、とてもこの本の奥深さを表現することはできないので、
帯の言葉をそのまま載せます。

「子どもは、その主体性の発揮を存分に保障され、
生活と遊びの主人公として尊重された時、
私たちの想像をはるかに超えた豊かな学びの物語を
自らの内に紡いでいきます。
そのために、子どもたちの可能性を信じて葛藤する
和光の大人たちの姿は感動的です」。

今、保育を変えてみたいと思っている先生方は、
まず1章「子どもが主人公になる保育への転換
 保育見直しの中の私たちの葛藤」
から
読み始めるのも良いかもしれません。
保育園を継いだ鈴木真廣先生と先生方が、
保育者主導の保育を
子ども主体の保育へ変えるために
試行錯誤された33年間が描かれています。

子どもとは?、保育とは?、
保育者の役割とは?と
授業を聞きながら混乱している学生さんは、
2章の「新たな教育観と保育の『真』と『深』」から。

園から地域へと子育て文化を発信したい、
地域コミュニティの再生につなげたいと
今様々な取り組みを行っている先生方には
3章「わこう村『子ミュニティー』育ち合いの場をつくる」
から読み始めることをお勧めします。

そして最初から読み直すことで
鈴木先生の深い哲学が染み入ってくるかと。

理論と哲学することが好きな方には
序章からぐいぐい読める本です。

余談ですが48ページに、
遊びから食事への切り替えに
選択の幅を持たせる保育を、
研究大会で発表すると、助言者から
「この園の躾はいったいどうなっているのか」と
厳しく指導を受けたエピソードがあります。

ちょうど今月の雑誌『げんき』の連載「保育かわらなきゃ」でも
レストラン形式で食事をする園児を見た指導者から
「こんなことをやっていたら食事の躾はどうなるんですか」と
見直しと報告を指導されるエピソードを読んだところでした。

昔も今も保育を変えようとしたときの批判の質は似ていますね。
皆さんはどのように考えますか。

チームの力を最大限に伸ばすには2015/12/12

保育ナビ
『園の未来をデザインする 保育ナビ』 2016年1月号 フレーベル館

表紙につられて思わず笑ってしまいます。
表紙は小西貴士さんの写真。事務室に思わず飾りたくなりますね。


「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ多くの人を支援された西條剛央先生から
目的に向かって自律的にしなやかに動くチームづくりをテーマにお話を伺いました。
さっそく感想を送って下さったO先生ありがとうございました!

『保育ナビ』は、制度、園経営、人材育成など
園のマネジメントに強みをもつ雑誌です。
私は『保育ナビ』と『遊育』、各省庁のホームページで
制度の勉強をしています。(でもそれでもついていけてないですが)

子どもを信じる保育者と「かわいい~」2015/12/24

今年も、森のようちえんピッコロの中島久美子(なかじまくみこ)先生に、授業のゲストに来ていただきました。

何度お話を伺っても、初めてルソーの『エミール』を読んだときのように興奮し感動します。
子どもって、なあんてすごいんだろう、
子どもの力を信じることには、何と力があることだろう、
保育って、なんて素晴らしい仕事なんだろうと、
胸が一杯になってしまうのです。
学生たちも、中島先生のお話にシンと引き込まれていました。

保育者がどんな「子どもへのまなざし」を持っているか。
「子ども観」をどう育てるか。
保育者養成と研修の大きな課題です。

私には、子ども観を変えるような授業はできませんが、
中島先生のお話には、子ども観を変える驚きがあります。


森のようちえんピッコロ
森のようちえんピッコロ『子どもを信じて待つ保育』、『群の視点』。


今回、一つわかったことがありました。
それは「かわいい」に関すること。

中島先生が、最初にいくつか写真を見せてくださったのですが、
ハッと息を飲むような写真に対しても、
「かわいい~」と黄色い声があがりました。
私は、(ああ、この写真も、かわいいなんだ)と、ひどくがっかりしました。

これまでも、園見学で学生が「かわいい~」を連発していると、
(なぜ、どこがかわいいなんだろう)と不快に感じることがありました。
かわいいとしか感じないのであれば見学に行っても仕方ないのでは
と、その年度は見学をやめたりもしました。

なぜ、「かわいい」を不快に感じるのか、
自分でもよくわかっていなかったのですが、
私は、「かわいい」という言葉から、
子どもを下に見ている印象を受けるからだとわかりました。

中島久美子先生のお話を伺うと、
子どもの感性や許容量の高さ、心のまっすぐさに驚き
(子どもってこんなことを考えているのか)と圧倒されるばかりです。
そのときに「かわいい~」と言われると、
なんだか子どもをバカにされたように感じてしまうのです。

子どもを(かわいいなあ)と、愛おしく思う「かわいい」と、
「かわいい~」という黄色い言葉の違いがやっとわかりました。

子ども観が変わったとき。
それは、子どもの行動を見て、
「かわいい~」と言わなくなったときかもしれません。