「はう運動遊び」の今井寿美枝先生に2015/05/08

チャイルドハウスゆうゆうの施設長である今井寿美枝先生に、ゼミで「はう運動遊び」を教えていただきました。
「はう運動遊び」をテーマに研究する学生のため、そして今井先生の遊びを通して指導する雰囲気を、学生たちに直接味わってほしいと、先生にお願いして来て大学まで講義に来ていただきました。




先生は、この2冊の著者でいらっしゃいます。
今井寿美枝、『はう運動あそび』で育つ子どもたち、2014、 丸山美和子・今井寿美枝、生活とあそびで育つ子どもたち、2010、いずれも大月書店。

月に何十冊も本を読むけれども、めったに本を買わない私が、「これは絶対お薦めです」と、先生方に薦めている保育の本です。河添邦俊先生に生活リズムを学んだ保育者の皆さんには、なるほど河添理論がこのような実践になったのか、と納得していただけると思います。



本に紹介されている遊びを実際にみんなで体験してみました。私もやりたい、でも写真も撮らなきゃ…。写真左上が今井先生です。動きがお若い!


大人でもキャーキャー大騒ぎになります。子どもたちと一緒だと、どれほど楽しいでしょう。
最後は、「だいだいだーいすき」を歌って終わりました。この歌は子育て支援や懇談会で使いたいですね。

なぜ、子どもたちが劇的に変わるのか、直接先生のご指導を受けてわかりました。
それは、「はう運動遊び」が、「遊び」だったから本当に楽しいのです。先生のはじけるような笑顔と遊び心で、思わず子どもがやってみたい!と動いてしまうしかけがあり、やってみると面白い。

発達に合った動きが選ばれていて、オリジナルのうたも安定したリズムがあり模倣しやすい。そして何より人と関わる喜びが遊びのなかに組み込まれています。子どもは人間のなかで人に育つ、発達の本質です。みんなと一緒だと楽しいなあ、先生だ~いすき、子どもがそう感じられる遊びでした。

今井先生の遊びは、まず子どもへの熱い思いがあり、その思いを理論に基づいて活動にし、目の前の子どもに合わせて自在に応用する実践でした。今井先生には理論という確かな根拠がありました。理論という背骨のある専門家は現場に合わせて自由自在に動き回ることができる、そして人に説明できる・・・やはり学びは大切です。

雑巾も、腕の力が弱い子どもの場合には乾いた雑巾を使います。ここでも発達に則した教材選択が光ります。


気づきが多すぎて書きたいことだらけですが、私のブログより、ぜひ今井先生の本をご覧いただき、研修会に今井先生をお呼びいただければと思います。

今井寿美枝先生、貴重なお時間をいただいて後進のご指導をいただきまして、ありがとうございました。


幼児にぴったりの体操をつくる2014/12/14

卒論提出まであと数日。ゼミでは3年生も一緒になって卒論モードです。
本学では、乳幼児期の運動の重要性をしっかりと学生に伝えて下さる先生のおかげで、運動の研究に取り組む学生がゼミに複数います。

先日のゼミでは、体操を研究する学生のために、アンパンマン体操の振り付けを2歳児・5歳児向けに修正するという課題を出しました。実はこの課題は、乳幼児期の運動発達過程を理解していること、幼児期に経験したい動きを理解していることが必要なので、学生にはちょっと高度すぎる課題です。予想通り、2歳児グループも、5歳児グループも、「難しい~」と音を上げました。

アンパンマンの曲に、乳幼児向けの振りをつけることが難しい理由は、もう一つあります。
それは歌詞。アンパンマンには意味をもった歌詞があるため、「もし自信をなくしてくじけそうになったら」、「いいことだけいいことだけ思い出せ」などの、歌詞に合わせた表現を考えたくなってしまうのです。歌詞にも合い、幼児期の発達にも合う動きを探すのはとても難しい。
一小節ずつ歌詞の雰囲気が違うと、そのたびに動きをしょんぼりしたり、元気にしたりしたくなります。幼児は同じ動きを何度も繰り返すことが大切な時期です。もしも体操をさせるのであれば、保育者は動きを丁寧に着実に指導したいもの。一小節ずつ動きを変えると、いい加減な動き方になり、保育者は、どの子どもがどのような動きをしているのかを把握しにくくなります。そうすると、体操をわざわざ一斉に取り組む必要性が減ってしまいます。

たとえば、「線路は続くよどこまでも」ですと、歌詞はありますが、「線路は続くよどこまでも」「野を越え山越え谷越えて」「はるかな町までぼくたちの」とずっと汽車が走っているイメージですから、一曲、振りを繰り返しても違和感がありません。歌詞の内容によって、体操に使いやすい曲と使いにくい曲があります。

乳幼児から小学生など異年齢が集まるイベントや大人向けのイベントでは、気分が上がるアンパンマン体操がぴったりだったりします。しかし保育者が、教材として使う場合には、まず目の前の子どもありき。目の前の子どもたちにぴったり合った動きと、ちょっと挑戦的な動きを考えること。幼児期に経験したい動きを入れること。そして同じ動きを大人はうんざりするぐらい繰り返すこと。そして、それが可能な曲を探すこと、と説明していると、「体操って、曲選びも考えないといけないんだ~」と声が上がりました。


卒論を書くために、遊ばないといけない私たち・・・広い保育実習室が活躍中です。

保育はこれが正解、という教え方ができない領域。
保育も大学教育も、探し続ける、考え続けることが必要。
私自身が、くじけない、あきらめない、投げ出さない力を持たなくてはと、今日も中腰で歯磨き中。


赤ちゃんの体を育む2014/09/07

0歳は、運動の中心である腰、知性の原点である注意力、心の根っこである人への信頼感、この3つが育つ大切な時期です。これらは、愛情を注げば自然に育つ性質のものではありません。子育ては本能ではできない学習性の行動。子育て支援を担う保育者としては、これらを育むポイントを、保護者にわかりやすく説明できるとよいですね。

今回は、運動の中心である『腰』を育てることについて、ポイントを書いてみたいと思います。
顔から転ぶ子どもが増えているというデータがありますが、2歳をすぎても歩くとすぐに疲れて抱っこをせがむ子どもや、歩行がいつまでも安定せずに転びやすい子どもが増えているという声も聞きます。0歳児クラスや子育て支援の担当者は、家庭生活の変化に配慮しながら、保育・支援内容を考えていきたいものです。

ポイント1 早寝早起き、夜ぐっすり。午前はにぎやか夜静か。
 
運動には脳の成熟が現れます。生活リズムが脳成熟の基盤。脳が機能し健やかに発達するためには、睡眠が大切です。今は昼は静かで夜がにぎやかな家庭も多いものです。赤ちゃんは昼間に太陽の光を適度に浴びることが必要。昼間は家に人を呼んだり散歩や買い物に行くなどしてにぎやかに過ごし、夜8時頃には静かに真っ暗な部屋で眠ることが、発達の基盤になることを、0歳の時期に上手に伝えておきたいものです。

ポイント2 仰向けで手足をバタバタ動かすことが大切、育児用品はほどほどに。
0歳の基本姿勢は、仰向けか、うつぶせ。仰向けで手足をバタバタと動かし、腰をねじり、思い通りに体が動かないよと時に泣いたりしながら、体を上手に動かせるようになっていきます。
子どもが求めてもいないのに抱っこばかりされていたり、お座りを介助する育児用品に長時間入れられていたり、ベビーカーやチャイルドシートや歩行器に長時間座らされたりしていると、赤ちゃんは運動する機会がありません。
目を合わせずに抱きっぱなしは、おサルさんの子育て。人間の子育ては、仰向けで目と目を合わせ、手に物を持たせます。子育て支援では、赤ちゃんを仰向けに寝かせて視線を合わせて話しかける保育者の姿を見てもらえるように工夫しましょう。またハイハイは、歩行よりも難しい協調運動であり、腰が据わった子どもでないとできません。まだハイハイをしていない時期に、大人が無理やりお座りをさせてしまうと、赤ちゃんはビクとも動けなくなります。
仰向けやハイハイを促す環境をつくり、探索をあたたかく見守る保育者の姿勢を意識的に見せたいものです。




ポイント3 さわって、くすぐり、キャッキャと笑わせると、手が開いて足が上がる。
体の緊張が強い、あるいは逆に弱すぎる場合には、歌いながら、なでてさすって体をできるだけさわりましょう。赤ちゃんはうれしいと、手が開き、足をピョコピョコと動かします。仰向けで上からあやすと、手のひらが開きます。仰向けで腕や足を大きく動かすことで、腰も据わります。
本能で、赤ちゃんはあやせません。初めてのことはわからないし、知らないこと、見たことがないことはできなくて当然です。他の人の自然な子育てを見る機会を、子育て支援や日常の保育で作りたいものです。




ポイント4 なめる、さわる、体を動かすことを見守る。
早期教育の情報があふれているため、赤ちゃんには刺激を与えないといけないという誤解が流布しています。しかし一方的に赤ちゃんに与える刺激はむしろ害。「何か刺激を与えなくては」と、乳児期からテレビを見せて、自分で遊べない子どもや、人よりも映像刺激を好む子どもに育ってしまうと、保護者は後で苦労することになります。
赤ちゃんの遊びは大人には理解しがたいもの。赤ちゃんは、自分の手や物を見つめたり、さわったり、なめたり、体を動かすこと自体が遊びであり、発達に必要な行動であることを、上手く解説できるとよいですね。


保育者は、子どもが「自分でできた」と思うように、援助することが上手です。
保護者に対しても、説教がましくなく、楽しく自然に子育てについて知ることができるように工夫してみたいものです。

食事場面の保育者の言葉2014/05/08

先日、乳児クラスの食事場面をビデオで見る機会がありました。
客観的にビデオで見ると、食事中の保育者の声が多いこと、多いこと。大勢の子どもたちに対して、数人の保育者が大きな声で、「○○ちゃん、すご~い」、「カンカンしない」、「○○ちゃんすわって」と声をかけるので、とってもにぎやかです。私も、保育者のときには同じようにやっていたと思うのだけれど、ビデオで見るとかなり苦しい。

昨年、吉本和子先生の講演会にお話を聞きに伺ったとき、園内研修で、先生方が食事のときに子どもに話している言葉を書き出しをした一覧表を見せていただきました。(ありがたいことに希望者全員がカメラで撮影して帰りました)

1歳児には、
「○○ちゃん、ご飯にしようか」
「元の場所に戻せる?」
「待ってるからなおせたらきてね」
「イスひくね」
「おわんにお汁入れるね」
「今日はさつまいもが入っているよ」などの言葉がズラリと並びます。

それらの言葉の一つひとつに、自主的な行為への働きかけ、状況の説明、方法の説明、情報の提供等の意図が書き込まれていました。集団の保育でありながら家庭以上の意図のある丁寧なかかわり。プロの仕事です。う~ん、私にはこんなていねいな保育はできていませんでした。

保育者が、テンション高く、甲高く大きな声で話さないといけないのは、大きな集団で一斉に何かをさせないといけないから。012歳児は、集団に合わせて自分をコントロールする発達段階ではありません。その子どもたちを集団で活動をさせること自体が、超早期教育なのかもしれません。

一斉にトイレに行く、一斉に食事を食べ始めるなど、012歳児の発達段階に合わないことをさせようとすると、保育者の過剰な援助が必要になります。一斉に生活させることをやめれば、待たせるために、手遊びや声かけで時間をもたせる必要も減り、励ましたり急がせたりするための声かけは不要になり、大切な声が嗄れてしまうことも少なくなるでしょう。家庭のようなあたたかい保育をしたいと願っている保育者はストレスが減るのではないかと思います。


ながかみ保育園の0歳児保育室。おだやかであたたかな暮らしがあります。


ながかみ保育園 0歳児保育室に置かれているポットとコップ


「子どもは生活全体のなかで人格を形成する」ことは以前から言われてきましたが、とくに食事や午睡、排泄などの生活場面を含めた「暮らしの質」に目を向け、改善を行う園が増えてきました。

012歳児の一斉型保育を替えた園は、まずは園長や主任が他園の保育を見学に行く、園同士で保育者を交代して互いに研修しあうなどして新しい方法を獲得されているようです。保育は着実に変わっています。研修時間が不十分ななかでも学び改善を続けられる姿勢には、本当に頭が下がります。

最新ままごと事情2014/02/18

先日保育園で、ごっこ遊びには家庭生活が見えるという会話をしているときに、最近のままごとではパソコンを使うんですよ」と先生。
「ねえ、今日の晩御飯何がいい?」(母役)
「チャーハン」(子ども役)
「チャーハンね」といって、お母さん役の子どもはパソコンの前へ行き、マウスを動かして調べる真似をするそうです。
・・・「クックパットを見てるんだ!」と笑いました。

別の園では、二人の女の子が、とても忙しそうにお料理を作っていました。
「大人って、あんなに忙しそうに見えてるのかね」と、園長先生たちと笑いました。そのうち、その子はクラスの子に向かって、「だれか~保育園の先生やって」と、他の子を誘いに行きました。忙しそうにご飯を作って、赤ちゃん人形を抱くと保育園へ連れていき、先生に「お願いします、お願いします」と頭を下げています。先生も私も苦笑。赤ちゃんを抱いて連れて帰ると、赤ちゃんはほったらかしでご飯を作っていました・・・。


小学館の保育雑誌「新幼児と保育」では、今年は「飾らない保育環境」をテーマに保育室の環境を取材してきましたが、4月からは、お家ごっこの環境、仕事ごっこの環境、言葉を育む環境、表現活動を育む環境など、子どもの遊びがひろがる保育環境の連載が続きます。
でも私が撮った写真は、ピンボケのために雑誌ではボツになることが多いのです・・・。先生方の実践はすばらしいのですが、残念。

ときわ保育園さん(森町)のごっこ遊びの空間はどのクラスも魅力的。間仕切りの工夫も真似してみたい。


実物大のねこのぬいぐるみも、会話がはずむきっかけになりそうですね。


幼児期には、料理のお手伝いをしたり掃除をしたり本物の生活技能を身に着けていくことも大事です。
加えて、「自分の思い通りになる」想像の世界で遊ぶことも、やはり経験させたいもの。ファンタジーの世界は、自分の思い通りにふるまうことができます。思い通りにはならない現実があっても、ごっこの世界を通すことで、その子なりに受け入れられる形に変えることができます。たとえば小食で食事のときにたくさん食べるように言われていたある子は、いつも人形に食事を食べさせる遊びを繰り返していました。男の子でも女の子でも、家庭のごっこ遊びは必要です。幅広い年齢が一緒に遊べる遊びですから、夕方の異年齢で遊ぶ空間では特に活用したいですね。

お家ごっこ遊びの環境としては、「お皿とコップとプラスチックの食べ物」が一般的ですが、それでは、お皿に並べるか、飲むか食べる真似しかできません。「新幼児と保育」の春号では、どのような環境があれば遊びがひろがるか、園庭、屋内のさまざまなお家ごっこの写真をまとめていただきました。お楽しみに。

保育園の豊かな食事2014/01/16

保育園へおじゃますると目をひかれるのが、子どもたちのお昼ごはんやおやつ。
手作りで野菜もたっぷり。ほんとうに美味しそうです。
目の前で給食の先生が準備してくれた湯気の上がるあたたかい食事を食べることができるなんて幸せですね。
今日は、6つの園の実践をご紹介します。

水差し、お花や観葉植物が各テーブルに置かれています。果物はグループごとに分けて食べます。


保育室のテーブルで、テーブルクロスを敷いて、カレーライスを食べています(3・4・5歳)。


保育室で食事をしている1歳児のテーブルの様子。お茶が入ったピッチャーは、子どもが自分でつぐ大きさです。


レストラン形式でおやつを食べに来る子どもたちの様子。1歳の子どもたちは、先生がテーブルにおやつを準備する頃になるとレストランにやってきて自分で椅子に座ろうとします。

毎日、こんな離乳食を出しているだけで、保護者への素晴らしい子育て支援になっているといえないでしょうか。


今日の給食をスライドショーで掲示。箸置きを使っているのですね。豊かな食事風景です。


国の「食育基本法」に基づいて、幼稚園や保育園では「食育」を推進しています。毎日の食事のメニューと、食事の雰囲気は、隠れたカリキュラムといえます。給食の先生たちが食事を作る様子を見て、心づかいのある空間で、食べ物の湯気や香りを感じながら楽しく食べること自体が、何よりの「食育」になっていると思います。

紹介させていただいたのは、ながかみ保育園さん、やまぼうし保育園さん、エミール保育園さん、こまつ保育園さん、なかぜ保育園さん、なごみ保育園さんの実践です。いつも素晴らしい実践をお教えいただきありがとうございます。

お誕生会の保育者の出し物2013/12/16


                              ぐりとぐらも冬景色。でも冬に卵は落ちてないか・・・。長袖を着せなくては。


休日に某駅の大型書店へ行き、保育の書棚の前で、また一人ため息をついていました。
(保育の書棚の前でため息をついている中年のおばさんを見かけたら、それは私かもしれません(笑))
パネルシアター、手作りカード、発表会・・・日常の保育内容に関する本がほとんどありません。「なぜ保育の書棚に保育の本がないんだあ、責任者でてこ~い」なんてことは言いません。これが売れる本なのでしょう。

反対になぜカードや出し物系の本が売れるのかを考えてみると、保育者がいかに行事に頭を悩ませているかと、捉えることもできそうです。パネルシアターやエプロンシアターが流行したのも、毎月のお誕生日会やイベントでの保育者の出し物として、手軽に一人で作ることができるという利点があったからかもしれません。

最近では、行事のやり方や内容が、少しずつ変わってきていることを感じます。
保育園でも、かつては毎月一回、その月に誕生日を迎える子どもたちの誕生会が行われていましたが、誕生会の意味がわかる3歳児以上のみが参加で、012歳児は参加しないという話も、聞くようになってきました。各クラスで、その子どもの誕生日にお祝いをする園誕生日にはバッジをつけて、園内のみんなから「おめでとう」と声をかけてもらう園、誕生日には保護者が園に来てクラスの子どもたちに生まれたときの話をする園、親御さんにメッセージを送る園など、誕生会一つとっても、子どもや保護者にとって意味のある行事になるように工夫する実践を、多く聞くようになりました。

誕生会では、保育者が出し物をするという園もあるようですが、その場合には、子どもたちが驚いたり感動したり、翌日からの遊びに影響を与えたりするような内容をやってみたいものです。たとえばその先生がやっている本物の趣味やスポーツ、特技を舞台の上で見せるのはどうでしょう。ギターを弾くとか、本気で歌うとか、クラッシックバレーやフラダンスを踊るとか、着物の着付けをしてみせるとか、ダイビングの格好をしてくるなんていかがでしょう。
先生方が集まって練習をするのであれば、先生同士で「みかんのはな」や「おちゃらかほい」をしたり、先生同士で美しいわらべうたをしてみたり、一人お手玉や集団お手玉、縄跳び、まりつき、切り紙、遠くまで飛ぶ紙飛行機など、子どもたちが、あこがれるような内容を演出するのはどうでしょうか。保護者や地域の人にお願いすることもできますよね。他の先生と違うことをするにはちょっと勇気がいるかもしれません。まずは先輩の先生や園長先生に相談してみましょう。

これを読んで下さっている保育者の皆さん、以上児研究にあたったら、「発表会の内容」とか、「誕生会の出し物」とか、行事のやり方を取り上げてみませんか。

遊ぶ、遊ばせる、遊んであげる2013/07/07

保育実習の授業で指導案や記録を読んでいると、学生が書く計画や記録には、保育の目標・原理・内容の理解が現れることを実感します。(保育の目標・原理・内容は、「保育所保育指針」と、「幼稚園教育要領」に示されています)

保育者の場合、子どもは「遊ぶ」が基本ですが、保育の本質を理解していない場合には、「遊ばせる」、「遊んであげる」という言葉が出てきます。「子どもに~させる」「子どもに~してもらう」なども、初学者の特徴的な言葉です。

保育の勉強をはじめたばかりの学生の多くがイメージしている保育者は、ピアノを弾いて子どもに歌を「うたわせる」、手遊びなどを「してあげる」人。保育者は、子どもを楽しませ、喜ばせる人であり、子どもには刺激等を「与えないといけない」と考えています。しかし、子どもの発達、保育の原理と保育者の役割を学ぶうちに、どんなに小さくても、生活の主役はその子ども自身であり、遊びは子ども自身が生み出すものだと気づきはじめます。保育者の役割は、子どもを楽しませることではなく、子ども自身が楽しみや喜びをつくりだせるように環境をつくり援助をすることだと理解します。

その喜びも、「happiness」よりも、「fulfillment」(フルフィルメント・充足感)(byマーチン・セリグマン)の追及。

物を買ってもらったり、美味しいケーキを食べたり、誰かに何かをしてもらって楽しませてもらうような幸せも、時にはあってもいいけれども、日々の保育で追及したいのは、「充足感」。子どもたちには、これからの人生で、自分のいる場で充足感を生み出し、自ら働きかけて環境を変え、どんな状況のときにもたくましく乗り越えていける主体的な人に育ってほしいと思います。

消費社会は、商品を買う、サービスを消費するタイプの愉しみにあふれています。小さな子どもたちも消費者として扱われ、親も祖父母も、子どもたちを楽しませよう、喜ばせようとします。サービスする大人に囲まれていては、子どもは「充足感」を得られません。本来、子どもたちは、身のまわりのほんのわずかなもので、たくさんの喜びを創り出す力をもっています。けれど大人にはそれが見えにくい。そのため大人の価値観で、物やサービスを子どもに与えようとします。

保育者だけは、子どものちいさな喜びを見いだせる人でいてほしい。
一見つまらないもののように見える子どもの遊びにも寄り添える人になってほしい、と思います。

保育原理では、遊びの本質と、保育者の役割、方法原理だけは最低限度理解できるようにと授業をしていますが、豊かな遊びを経験した学生には、水が染み込むように、受け取ってもらえる感覚を味わっています。未来の保育リーダーたちに期待大です。



体操やリズム遊びの動きづくり2013/05/16

保育学会でお世話になった皆様ありがとうございました。福岡で元気をいっぱいいただいて帰ってきました。


福岡では和光保育園さんの撮影に伺いました。周囲はマンションに囲まれていますが、子どもの目には緑しか映りません。詳しくは後日、本で。


保育は、子どもの姿から始めることが基本。

造形、身体表現、音楽表現の場合、遊びでの表現だけではなく、保育者が文化を提供することも多くあります。その場合も、子どもの姿をよく見て、子どもの発達や心の状態に合ったものを考えます。
教材や活動を選択あるいは作るには、基準が必要ですが、各領域の発達過程の整理や、教材・活動選択の基準づくりはこれからの仕事です。

たとえば、体操やリズムの動きを作るときには、体と動きの発達の理解が必要。

発達は、中心(腰)から末端へ。頭部から尾部へ。
動きは、単純な動きから、複雑な動きへ。
粗大な動きから、微細な動きへ。
目的のない動きから、目的をもった動きへ。

0歳児は、腰と口内とつま先。(参考:飯島正博「不器用な子どもの動きづくり」かもがわ出版,2005)
1、2、3歳児は、手指と全身の粗大な運動。
4、5、6歳児は、調整が必要な運動。
こういうポイントがわかっているだけでも、子どもに合った動きや活動を選びやすくなるでしょう。

子どもの姿から活動を想定するという大原則がわかり、
各領域ごとに、子どもの発達と活動のポイントが整理されると、
保育者はグンと仕事が楽になると思います。

もっと保育者の役に立つ理論を作りたいものです。
音楽と造形表現分野で共同研究をして下さる方、募集中です。

プロの手遊びはどこが違う?2013/04/25

毎日、体脂肪率と筋肉量がせめぎ合い。今日は図書リスト作りで一日座っているから体脂肪が勝ちそうです。私の筋肉がんばれ。

朝霞キャンパスの緑がきれい
                          気持ちだけでも戸外へ。


東洋大学の芝生広場から木を見上げる
                        若葉が美しい季節です。


さて、職業として保育を行うプロの保育者の手遊びと、そうでない人の手遊びはどこが違うのか。
先日から、これをずっと考え続けています。

育児サークルや子育て支援サークルとのおつきあいが長かった私は、保育者顔負けの絵本に詳しいママやパパ、手遊びが上手なママたちと出会ってきました。市民図書館に行っても、子育ての棚に、手遊び、パネルシアターなどの本が並んでいたりします。親向け手遊びのDVDも売っていますしテレビでもやっています。もう手遊びは保育者の専売特許ではありません。

保育者にしかできない手遊び・・・。
発声や言葉の安定と美しさ、清潔に歌うこと、子どもによく見えるように手や体をゆっくりと動かすことができること、鼓動をとり美しいリズムで行うこと、子どもの状態に合わせて変化させること、集団の雰囲気をつくること。そういう技法的な違いがあるかもしれません。
しかし、最も違う点は、保育者の行為には、根拠があり、意図があることです。(そうでないと給料がもらえない)
子どもを楽しませるための手遊びやパネルシアターは、誰にでもできますし、専門知識はいりません。

子どもの心身の状態に合わせて選ぶ。
子どもの発達段階に則した動きのものを選ぶ、または作る。
子どもの言葉や認識や音感や手指操作の発達などを意図して選ぶ、または作る。
子どもの翌日からの遊びにつながるものを選ぶ、または作る。
子どもの人格形成に与える影響を考え、文化として選ぶ。

これらには、発達と保育の専門知識が必要です。
手遊びやうたのように、表面的なスキルのようにしか見えないものに実は根拠と意図がある、それが保育者の行為。

保育者は、子どもに楽しみを与える人ではなく、子どもが楽しみをつくりだすことを援助している人。傍からは同じように見えるかもしれないけれども、違うんですよねえ。保育者は、集団保育の中で、ただ単に子どもを楽しませるために手遊びをしているわけではないことを、伝えられるようになりたいと思います。


                 卒業生Iさんのゼミ手帳。きっと職場でがんばっているだろうなあ。

 
               保育者が教材や活動を知ることは、料理人が野菜を知るのと一緒。